■この世界の (さらにいくつもの) 片隅に 聖地巡礼 ロケ地ガイド

 新たに「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のロケ地ガイドを作成しました。ガイドの内容は250カットを超える新規エピソードを追加して2019年12月20日に公開された新作映画で新たに追加されたロケ地情報、そして予定よりもかなり遅れて2020年春に一般公開された北條家のロケ地 すずさん家(がた) の紹介になります。「この世界の片隅に」に登場した呉のロケ地情報は2017年に作成したこの世界の片隅に 聖地巡礼 ロケ地ガイドで紹介していますので、まだご覧になっていない方はこちらから先にご覧になってください。
 ロケ地についての説明文だけでは実際に現地を回られる時に各ロケ地の位置関係が分かりにくいため呉のロケ地全体図も作成しています。「この世界の片隅に」聖地巡礼マップ こちらも一緒にご覧になって参考にしてくださいね。
 尚、ロケ地説明のために引用しています公式画像の著作権はすべて (C) こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 にあります。

 すずさん家 嫁入りコース

 最初は すずさん家(がた) を紹介します。呉観光協会が案内地図(マップPDFリンク)を作成していますし、くれ観光情報プラザでは印刷された案内地図も配布されています。Googleマップ  この地図を見てみるとすずさん家への行き方として三種類のコースが紹介されていますが、ちょっと分かりにくいかも知れません。そこで「嫁入りコース」と「迷子コース」を呉が初めての人でも迷わず行けるように詳しく紹介していきます。
 嫁入りコースのスタート地点は辰川バス停となっていますが、呉市の玄関口であるJR呉駅から説明します。Googleマップ 上の画像は当時と現在の呉駅です。バスは辰川線(31系統)で、駅前のバス停番号は9番。広電バス辰川方面路線案内 辰川線の路線図&時刻表はリンク先で確認してください。バスを降りるのは終点の辰川ですが、嫁入りコースで木炭バスが止まって歩いた点を完全コピー(?)したい人は終点一つ手前の鉄管道路で降りてみてはいかがでしょうか?すずさんが妊娠検査に行った辰川i医院のモデルである六川醫院の跡地はすぐ近くにあります。(清水青果物店の北側路地を東に20m程歩く。) 下長之木国民学校のモデルとなった辰川小学校の跡地も結構近いですよ。
 下の画像の木炭バスを降りた浦野家族が歩いていた場所は鉄管道路バス停から北に約130m上った所。Googleマップ ここから辰川バス停へは北に更に約200mです。この辺りの坂はまだそんなに急ではありません。 経路リンク

 それでは辰川バス停から徒歩による嫁入りコースを使ったロケ地巡りのスタートです。辰川バス停 Googleマップ 以前は片渕監督からここから北側の住宅地には立ち入らないように言われていました。現在も住宅地である事には変わりありませんので近隣住人の方に迷惑を掛ける事が無いような行動をお願いします。歩くコースを作ったという事は逆に言えば「コース以外は歩かないでください」と考えても良いかも知れません。尚、案内標識などは一切ありませんので、このロケ地ガイドで前もって予習して行きましょう。

 辰川バス停のすぐ北側にあったのが辰川配給所です。Googleマップ 現在は駐車場になっており残念ながら配給所は既にありません。ただし写真左側(北側)にある家は現在もそのまま残っています。ちなみに「嫁入りコース」はただ単にすずさん家へ行くために通るだけのルートではなく、歩くコースに映画に登場したロケ地(聖地)がたくさんあるのでお勧めです。お楽しみに!

 辰川配給所跡地から北に向けて歩きます。ここからかなりの急坂になるので覚悟しておいてくださいね。坂を約80m上った所で右折。(上の写真の矢印を参照) 右折してすぐ右側の場所が次のロケ地(聖地)で、ここはすずさんがS19年5月に食事のため野草を摘んでいた場所です。私がこの場所を判明した2017年5月には家は既に取り壊されていましたが、石垣などはまだそのままの状態で残されていました。その4年後の2021年3月に再び訪れた時には残念ながら土地は整地されて跡かたは残っていませんでした。Googleマップ 経路リンク

 続きましてそのまま東方向に約50m坂を上っていきます。突き当りを北方向に左折。(上の写真参照) 経路リンク 目の前にある急な上り坂が次のロケ地です。S20年2月の雪の日にリンさんにお茶碗を渡すために朝日遊廓に行ったすずさん。その帰り道でこの急な坂道を上がっていきました。

 その急坂を上りきって突き当りを右折します。そして更に目の前の左側にある坂道を上っていきます。ここも映画に登場した場所ですね。Googleマップ  経路リンク

 短い坂を上り切ったら目の前の右側に今にも崩れそうな古い家が・・。この家は戦争当時の海軍住宅だと思われます。ここはS20年7月28日の空襲のシーンで登場しています。(黄色いマルで囲んだ家) 2016年に訪ねた時は奥側に見える新しい家の場所にも同じ形の家が長屋のように二軒並んでいましたが、現存しているこの家も時間の問題ではないでしょうか。Googleマップ 経路リンク
 海軍住宅跡から東に歩きます。十字路を越えて50m程歩いた所で道は左(北)にカーブして曲がっていますが、曲がらず真直ぐ細い路地を下っていきます。(写真&映画の空撮画像参照) 映画に登場した空襲シーンでも道路はきっちりと描かれていますので赤い矢印の通りに歩きましょう。 Googleマップ  経路リンク

 細い路地を約50mほど東に下った所にある十字路が次のロケ地で、ここはS20年7月28日の空襲でサギを追いかけていたすずさんと周作さんが道路脇の溝に隠れた場所です。駐車場のカーポートがあって見えませんが、すずさんが何度も水汲みをしていた井戸も実際にこの場所に今もあります。最初の写真は歩く方向に向けて東側を写しています。次の写真は十字路を北側から南に向けての撮影です。すずさん家は十字路から路地を東へ約70m歩いた所にあります。Googleマップ 経路リンク

すずさん家

 すずさん家 広島県呉市畝原町(物語の住所は呉市上長ノ木町八百八番)北條家として登場したこの場所が「すずさんに逢える丘」(仮称)として整備される事が2018年2月に発表されました。元々は原作者こうの先生の祖母宅があった土地で、呉の活性化に役立ててほしいと2017年3月に こうの先生から市に寄付されたこの場所を聖地として市が整備する事に決まったのでした。2018年度内に完成の予定でしたが18年夏の豪雨災害のため計画は大幅に遅れ、やっとの事2020年の春にすずさん家(がた)として公開されるに至った訳です。案内板には「こんにちは。上長ノ木808番 北條家へようおいでてくれんさりました。なんで北條家がここへあるんかいうと、こうの史代がもともとここへ住んどったためです。ここは朝日が遅うて時々ねぼうしますが、夕日はいつもまっすぐ輝きます。人生も、こんなふうじゃとええよね。北條すず」と書かれてあります。説明ではこうの先生がここで生活していた事になっていますが、これも先生の意向だと思われます。ちなみにトイレや駐車場などはありません。この場所がロケ地巡りの最終目的地だとは考えず、あくまでも聖地巡礼箇所の一か所だと思って回りましょう。Googleマップ 経路リンク

すずさん家 迷子コース

 次は「迷子コース」を説明します。迷子コースとはS19年8月に闇市へ砂糖を買いに行ったすずさんが迷ってしまった帰り道を通るコースの事です。呉駅からスタート地点の「分かれ道」までは徒歩かバスを利用しましょう。Googleマップ(出発時刻を入力してください)
 分かれ道である広島県信用組合呉支店の前からすずさん家を目指して北方向に歩きます。Googleマップ 胡町公園の西側を交差点まで歩きます。約100m 交差点を左に曲がってすぐ右に曲がります。(写真参照) 道なりに北方向に歩くと三ツ蔵の前に出ますので初めての方は記念撮影を。Googleマップ 経路リンク

 そのまま三ツ蔵を通り越して約110m先を左に曲がって又すぐに右に曲がります。(写真参照) ※「左に曲がりすぐ右に」が二回連続で続きますので間違えないように注意しましょうね。ここですずさんが帰り道で迷子になってないのが不思議なくらいです。そのまま信号機のある長ノ木トンネル西口交差点まで歩きます。三ツ蔵から約250m。経路リンク 

 信号を超えてから上り坂になってきますのでがんばって歩きましょう。長ノ木トンネル西口交差点から約150m上った所で道が大きく右にカーブしていますが道なりにそのまま進んでください。Googleマップ そこから約170m進んだ交差点で右折します。左(西)側は急な下り坂で道路が階段になっているので場所の判断は容易いでしょう。Googleマップ 経路リンク

 右折してから約48m先を北方向に左折します。(北方向から見ると丁字路) 尚、迷子コースの写真はどれも南側から北方向にカメラを構えて写していますが、この最初の写真だけ西側から東方向に向けて写しています。Googleマップ 左折してから北方向に坂を上っていきます。約190m先の十字路を東方向に右折。Googleマップ 経路リンク

 右折してから約58m先の丁字路を北方向に左折します。(北方向から見ての丁字路です。つまり右折はできません) この写真は南側から北方向に写しています。Googleマップ ※交差点を右折して丁字路を左折するが二回連続で続きます。そのまま北に約240m歩いて十字路を右折すると約70m先にすずさん家があります。Googleマップ 経路リンク 迷子コースではロケ地は三ツ蔵しかありません。そのため嫁入りコースですずさん家に向かい、逆方向になりますが帰り道で迷子コースを通るのがお勧めです。私も実際にそう歩きました。上長之木隣保館のモデル畝原町自治会館や、雪の日にすずさんが下った急な下り坂にまだ行かれてない方は帰り道の途中で寄ってみると良いと思います。

朝日遊廓跡

 朝日遊廓については「この世界の片隅に」のロケ地ガイドで説明してありますが、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で新たなシーンが追加された事、それに伴い朝日遊廓について調べ直した結果 一部情報に間違いがあった事が判明したため再度説明します。
 一番上の航空写真を見てください。これは1963(S38)年に撮影されたもので、私は遊廓について調べ始めた当初この写真を基にしてロケ地の位置関係を考察しました。すずさんは泉場の闇市から遊廓裏門を通り、東京楼の前で「ほいでここはどこね?いったい!」と叫ぶ。そして二葉館のリンさんに表門まで送ってもらい、郵便局の前を通って分かれ道に戻る。これで基本的には間違っていないのですが、偶然発見した1945年(昭和20年)4月12日に撮影された航空写真(二枚目の写真)を見ると1963年とは明らかに違いがある事を発見しました。ちなみに三枚目は現在(2021年)の航空写真です。
 さて昭和20年と38年のどこに違いがあるのか分かりますか? 本通りと並行して走る泉場方面からの道が20年当時は途中から本通り側に向かって曲がっていた事が確認できます。この辺りは空襲で焼け野原になったため戦後の整備で道路を真直ぐに作り直したのでしょう。このため当初の推測よりも裏門は約25m本通り側(南側)にあった事になります。

 すずさんは泉場闇市から遊廓方面に真直ぐ歩いた。そして今現在は十字路の交差点ですが、当時は丁字路で突き当りだったため左に曲がって裏門を通ったという事です。実は以前から疑問だったのは すずさんは何故交差点を左に曲がって遊廓内に入ったのか?という点でした。十字路であれば曲がらずにそのまま真直ぐ歩いたのではないか?と考えたからです。しかし実際には丁字路だったためどちらかに曲がるしかない訳で、すずさんが裏門に興味を持って左に曲がったのは十分に納得ができます。上の画像はもし今も裏門があったとしたらこの辺りだろうと合成してみました。

 迷子になってしまったすずさんは電柱の前でしゃがんでいます。この位置も最初の予想より約15m南方向(本通り側)が正しい情報になります。ちょうど現在では森酒店の手前にある道路標識(指定方向外通行禁止)辺りだと思われます。Googleマップ ちなみに森酒店は呉でロケが行われた映画「孤狼の血」でガミさんがライターを買うた店のロケ地じゃけえのお!(いきなり広島弁!) そしてガミさんと一緒に居ったんはドラマ版の周作さんじゃけえのお!(笑)
 しゃがんでいるすずさんの左斜め前に見えている洋風の建物が東京楼本店、道路を挟んだ真正面ですずさんの左側に見える建物が東京楼支店。電信柱は東京楼支店の右隣(南側)にある胡子楼の前にありました。東京楼本店と支店の北側には堺川が流れていた筈で、東京楼本店のはす向かいに二葉館があったという設定のため、二葉館の位置は堺川のすぐ向こう側だと思われるのですが「この世界の片隅に」を見た限りでは堺川の描写がまったく無かったため判断ができません。すずさんは雪の日に堺川があるだろうと思われる場所でテルちゃんに見せるため地面に絵を描いていましたから疑問が残ります??

 もしかして雪が川の上に積もりすぎてその上に絵を描いた?「んなこたぁない!」長い間 疑問だったのですが「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見てやっと解決できました。20年2月の雪の日のシーンが追加されたからです。とりあえず上の1945年(昭和20年)4月12日に撮影された航空写真をもう一度見てください。堺川ははっきりと白く写っていますし川に掛かる橋も確認できるのですが、朝日遊廓の二葉館の設定場所周辺だけは黒くなっていて川が何故だか見えません?これは恐らくですがこの場所は暗渠(あんきょ)になっていたのではないでしょうか。つまり川の上を板やコンクリートなどで塞いでいたため黒く見えたのでしょう。
 そこで新たに追加されたシーンのテルちゃんに絵を描くシーンをよく見てみますと、雪が無い部分はやはり板張りのようで四角い穴も開いています。これですずさんが堺川の上で絵を描いていた事は間違いないでしょう。長年疑問だった二葉館と堺川の位置関係もやっと解決できました。Googleマップ

 この後は この世界の片隅に ロケ地ガイド の説明と同じで、すずさんに帰り道を教えるリンさんが郵便局の方を指さしています。角にはお寿司屋さん(寿司芳)。今現在は呉市医師会病院で朝日遊廓跡地の大部分を占めています。この信号機がある交差点から25m程先に表門がありました。Googleマップ

 朝日遊廓表門があって当時は表門の前には沖田質店(現在は福島税理士事務所)、二軒先には交番がありました。Googleマップ ここからすずさんは郵便局の前を通り分かれ道に戻った訳です。
 すずさん家へ行くための迷子コースをパーフェクトに実践するために泉場から出発したいと考えている方も居られるでしょう。しかし泉場から裏門までは当時とまったく同じように歩く事は不可能です。今では道路が異なる部分がありますし、蔵本通りと今西通りには横断歩道が無いため渡る事ができないからです。そのため泉場から今西通りまでは本通りを通る事をお勧めします。経路リンク(経路リンクで一旦本通りの反対側歩道に渡っていますが渡る必要はありません。) 呉駅から泉場闇市までの行き方はこちらのリンクを参考にGoogleマップ(出発時刻を入力してください)  

二河公園

 今度は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で新たに追加されたロケ地(聖地)の二河公園を紹介します。Googleマップ 最初に呉駅から行く場合は徒歩では距離は約1.2kmで歩く時間は16分程度。経路リンク バスを使っても9分程度とそんなには変わらないため、バスの時間が合わない場合には歩いた方が早いかも知れません。経路リンク ちなみに二河公園のバス停から広島呉道路を挟んだ北側の公園に行くためには横断歩道が無いためアンダーパス(横断地下道)を歩きます。

 朝日遊廓と同じように航空写真を使って当時と現在の様子を比較してみましょう。二河公園は空襲の被害を受けていないため消失こそ免れましたが、今ではかなり変わっていて当時の面影を探すのが大変です。一番上の写真は1947(S22年)年5月5日に米軍が撮影した航空写真。北條家ご一行が花見にやってきたS20年4月3日から約二年の月日が流れていますが、遊廓の説明で使用したS20年4月12日の航空写真は非常に画質が悪いので鮮明なこちらの写真を使用しています。画質の差でも日米の差を感じますね。(ちなみに遊廓の説明で鮮明なS22年の航空写真を使わなかった理由は空襲で焼け野原になっていたためです。) S20年からS22年の二年間で大きな違いはリンさんが登った桜の木があった周辺が戦後の食糧難のためすべて畑になっていた事。二枚目の画像は現在で、三枚目は二枚の写真の位置を重ね合わせたものです。

 それでは映画のシーンに合わせて説明をしていきます。S20年4月3日にお花見のため二河公園にやってきた北條家。Googleマップ ご一行が歩いている場所は二河公園の南側の入口で、上の航空写真では1と記している辺りです。目の前に見える建物は呉市営図書館で残念ながら現存していません。この図書館は原作にも登場していますね。現在はこの場所に広島呉道路があるため映画と同じアングルで撮影するのは厳しく、私が写真を写したアンダーパス(横断地下道)辺りにちょうど図書館があった事になります。
 今は存在しない図書館についてちょっと調べてみました。大正14年11月25日に開館式が行われており、1967年(S42年)1月10日に、すぐ近く(南南東に約100mの所)にできた勤労者文化会館(呉市西中央5丁目4-2)の中に移転していますのでこの建物は約41年間程使われてきた事になりますね。

 次の画像は図書館の前(南側)を通って二河公園内を歩く北條家御一行様で、現在この場所は二河公園多目的グラウンドとなっています。正面に見えているのは音楽堂で、いわゆる野外ステージですね。よく見ると音楽堂の周りに石碑のような物も見えていますがこれらについては後から説明をします。Googleマップ 残念ながら音楽堂も図書館と同様に現在しておらず、今この場所にある建物は呉市スポーツ会館になります。上の航空写真の音楽堂の右側に2と記してある場所は北條家ご一行がお弁当を広げた場所です。

 音楽堂がある方向に向かって歩いていたすずさんはリンさんに声を掛けられます。リンさんが登った桜の木があったのは進行(北)方向に向かって左(西)側で、現在では呉二河球場の外野センター辺り。S22年の航空写真ではすべて畑になっていましたが、S20年4月の写真で確認してもやはり辺りに畑はあって実際にそんなに多くの桜の木があった訳ではありませんでした。多くの木があって桜の名所だったのはどうやら戦前の事だったようです。Googleマップ 写真は呉二河球場側から東側方向の二河公園多目的グラウンドを写しています。

 それでは二河公園内の石碑について説明します。少しでも分かりやすいように画像をちょっと拡大してみました。音楽堂の左右に一つずつ合計二つあります。(矢印参照) 次のすずさんのアップ画像を見ても左右に合計二つ写っていますが、音楽堂の向かって右側(上手)にある石碑とすずさんアップの向かって左側にある石碑は同じ物で合計三つの石碑が映画には登場しています。この中で現在も同じ場所に現存している物は二つで、一つは音楽堂の左側に見える細長い石碑の呉海軍工廠殉職者招魂碑(大正11年12月22日建立)、もう一つはすずさんアップ画像の右側にある明治天皇御製碑(S18年11月建立)です。音楽堂の右側にある石碑は現在この場所にはありません。つまり二河公園の花見のシーンで確認できる 図書館、音楽堂、リンさんが登った桜の木、三つの石碑 の合計六ケ所の内 実際に訪れて確認ができるのは二つの石碑だけだという事になります。

 その現存する二つの石碑を写した画像はこちらです。最初は呉海軍工廠殉職者招魂碑 Googleマップ  そして次は明治天皇御製碑 Googleマップ

 ちなみに今は現存していない石碑や音楽堂は果たしていつまでその場所に在ったのでしょうか? 作品とは直接関係ありませんが気になったので調べて見ました。それではまたもやですが航空写真で確認してみましょう。上側が1963年(S38年)の航空写真で、朝日遊廓を最初に調べた時に使った画像です。この時点では図書館も音楽堂も石碑もまだ確認できますね。そして既に野球場とグランドがあります。二河野球場は1951年の竣工で戦後六年で完成していた事になります。ふと思ったんですがこの頃が一番良かったんじゃないかと・・。野球場・グランドのスポーツ施設だけでなく、図書館で本を読み、野外音楽堂では 呉ピース・メタル・フェス! ステージはマーシャルの壁で、ゲストは BABYMETAL!?
 次の12年後1975年の航空写真を見ると図書館は1967年に完成した勤労者文化会館内に移っており、図書館跡地には別の建物が建っているのが確認できます。これは現在のスポーツ会館が今の場所に移設される前の建物だと思われます。1975年も音楽堂と石碑はまだそのまま残っています。しかしこの初代のスポーツ会館も勤労者文化会館も広島呉道路建設のため立ち退きとなり今はありません。つまりスポーツ会館を公園内の北側に移設するために音楽堂を取り壊した事になります。
 それでは石碑は今はどうなったのでしょう?そもそも何の石碑だったのか?二河公園を訪ねた時にスポーツ会館の職員さんに石碑について聞いてみたのですが残念ながら「分からない」というお返事でした。そこで続いて呉市役所の観光振興課を訪ねて聞いてみてもやはり分からないとの事。続いて呉市中央図書館に行って調べてみましたがやはりだめで、最終的には呉市史編纂室の職員さんに調べてもらってやっと答えが見つかりました。石碑は澤原為綱翁之像で、澤原為綱は この世界の片隅に で有名になった三ツ蔵の当主でした。広島呉道路建設のためスポーツ会館を公園内北側に移設する事となり、移設先にあった澤原為綱翁之像を1983(S58)年12月に歴史の見える丘に移した訳です。ただ、金属類回収令によって像は既に撤去されていたため当時から台座だけとなっています。Googleマップ ストリートビュー画像

すずさんビックリ急坂

 朝日遊廓、二河公園以外で新たに追加されたロケ地(聖地)は多くありません。20年2月の雪の日にすずさんが朝日遊郭に向かう時に下っていった急坂は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で新たに追加されたシーンです。Googleマップ この場所は原作には登場していますので詳しくはこの世界の片隅に ロケ地ガイドをご覧になってください。畝原町自治会館(上長之木隣保館のモデル)からの経路リンク 迷子コースの途中で寄ってみるのも良いでしょう。

後書き

 ロケ地ガイドをご覧になって聖地巡礼の参考になりそうですか? 一部では聖地巡礼のマナーの悪さも話題になっていますが、車では行かない(辰川地区)、ゴミは捨てない、騒がない等のルールを守ってロケ地巡りを楽しんで来てください。コロナ禍の今ではソーシャルディスタンスを保つため一人で回るソロ活もお勧めです。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に聖地巡礼ロケ地ガイド」の内容に関するご質問、お問い合わせ、感想などがありましたらメールでご連絡ください。
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 2021年05月更新
 アメリカ雑貨ゴマちゃん店長 西岡 孝

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

映画の公式サイトはこちらです。作品情報や劇場情報など。

この世界の片隅に ロケ地ガイド

2016年11月12日に公開された映画のロケ地ガイド(原作含む) スマホ対応版

「この世界の片隅に」聖地巡礼ロケ地マップ

このロケ地マップも一緒に聖地巡礼の参考にしてください。

広島電鉄

呉のバス、広島の電車とバスの時刻表、路線図、料金などの情報。

中国JRバス

広島へのトイレ付き高速深夜バス。東京、愛知、大阪、福岡など。

広島空港

空の玄関口。広島、呉への直通リムジンバスあり。